ひろえもんの教育録

教育法 教育論 勉強法 ニュースなど幅広く扱います!!

ある教員のお話シリーズ1

まともな家庭に生まれなかった自分が、「学校の先生や友達のお蔭でまっとうに生きてこられた」、という恩返しの気持ちで、教師を志望し35年が経過しました。教職中は、家庭の確立していない、ともすると「いじめの対象」や「不登校」になりがちな子どもを昔の自分とダブらせて接していました。

 

 

 


数年前、給食制度の充実を図るため、食育の一環として「弁当手づくり、持参」の企画が提案されましたが、小中校各2年間、大学3年間の新聞配達をした上に、弁当も自分で造っていた私は猛反対をしました。さらに出来栄えのいい弁当は写真を撮って掲示するとも。今当時の私のような生徒がいたら、聞く耳を持たない親から、お金だけもらって、コンビニの弁当棚の前で立ちすくみ、おかずだけを手づくり風に弁当箱に詰め、学校では隠しながらの姿があって、自分の家のダメさをさらに思い知らされると同時に、友達の家をさらに羨む心だけが育まれると思ったからです。

 

 


同様に自分のみじめさを、もっと感じている対象として、障害を持っている子ども達のことが気がかりでならず、終盤は「特別支援学級」の担任を申し出て、7年間自分の専門教科の体育以上に、より意欲的に取り組みました。

 

 


学校が絶対多数の絶対幸福的な考えで経営される限り、落ちこぼしの子どもがでます。「教育基本法、第3条には(教育の機会均等)すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」これ嘘です。

 

 

 

 


学級のテーマを、「人が最も大切にされるクラス」にして、担任である自分が、「困り感」のある生徒に焦点を当て支援・指導してきました。教職のはじめは丁度、「第2教育荒廃期」のころで全国的に学校が荒れていました。ほとんど毎日「問題の発生」や「家出擬き探し」そして「暖簾に腕押し」状態でした。

 

 

しかし、この子ども達もほとんどが、家庭が形作られていないことによる犠牲者だと思いました。迷惑をかけた罪滅ぼしの作業として、朝早くに登校して、保護者・生徒、自分達で除草作業をしたことが印象深いです。

 

 

仕事等の忙しさで子どもを構えず、家出探しを教師に任せざるを得ない、保護者が自らの責任を重々感じて私達と共感されたもので、決して今のクレーマー、教師バッシングはありませんでした。

 

というお話でした。

 

いかがでしたか?