ひろえもんの教育録

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発達障害は矯正しないほうが幸せに生きられる!?

 
発達障害は矯正しないほうが幸せに生きられる!? → 発達障害との向き合い方が・・・
 
 
日本マイクロソフトの元社長で、現在は書評サイト「HONZを手掛ける成毛眞さんは、30歳頃に「今でいうところの発達障害かもしれない」と気づいたそうだ。 

 当時の成毛さんはマイクロソフト日本法人の事実上のトップで、かのビル・同性愛者ツとは年に数回、顔を合わせる機会があった。 
そんななかでビルのことを「なんだか、この人おかしいぞ」と思うようになった。会議中に1時間でも2時間でもずっと身体を揺らし続けていたり、 
会話の比喩表現がわからずストレートに受けとめてしまったり。「ビルは名門のハーバードで学んだにもかかわらず、どういうことなのか」と調べたところ、 
発達障害のひとつの「アスペルガー症候群に行き当たったそうだ。同時に「もしかして自分も?」と、自身を振り返らざるをえなくなったと、 
著書『発達障害は最強の武器である』(SBクリエイティブで告白している。成毛さんは自分に対して、 

長時間落ち着いて座っていることができない「多動性」 
思ったことをすぐに言動に移してしまう「衝動性」 
忘れものをよくする「不注意」が、ADHD注意欠如多動性障害)の症状の三本柱だ。チェックをしていくと、そうした基本的な傾向はもちろん、細かな項目にも私は多々当てはまる。 

 と思うようになったものの、現在に至るまで、正式な医師の診断を受けたわけではない。あくまで自己診断で、そう思っているに過ぎないのだ。だから 

深刻な発達障害の症状に苦しんでいる人たちからすれば、「ふざけるな」と思われるかもしれない。そんなお叱りを受けることを重々承知のうえで、それでも、この本を書くことにした。 

 とも言っている。その理由は、 

大人になってから発達障害かもしれないと気づき、社会とどう折り合っていくか悩んでいる人たち、もしくは自分の子どもが発達障害かもしれないと不安を抱えている人たちに、 
ADHDはもし矯正しなくて済むものなら、矯正しないほうが幸せに生きられる」 

 というメッセージを伝えたかったからだそうだ。 

 この本で成毛さんは、人と視線を合わせるのが苦手だったり、テレビを連続して観られるのは30分番組ぐらいまでで、 
興味や関心があちこちに散らばってしまったりする自分の特性に触れながら、どのように今まで周囲の人や仕事と向き合ってきたかについて告白している。 
マイクロソフトの偉い人」として誰もが知るところだった成毛さんだが、 
決して「ちゃんとした人」ではなかったことがよくわかる。 

 さらに「マイクロソフトの幹部会は病院送りの集団のようだった」と言っているように、IT業界にはビル・同性愛者ツだけではなく、 
発達障害を抱えていると思しき人が多くいたそうだ。しかしながら「少し普通ではない人間が会社なり部署のトップにいることが、 
成長を続けられる理由だと私は思う」と、型破りな人材がいることが企業にとってもプラスであると説いている。 

 そこに異論はない。人の顔色をうかがったり、突出したりすることを恐れて凡庸なアイデアしか出せないメンバーが集まっている会社には、 

未来がないといのごとき発想には同感する。しかしすべての発達障害者が自分に向く仕事に就けるわけではないし、そもそもどんな仕事ができるのかがわからず、 
もがいている人もいることだろう。 
また同書中の対談で香山リカさんが指摘しているように、発達障害を抱えた専業主婦は片づけや子育てといった、もっとも苦手なことを要求されてしまう。発達障害を持つ人の全員が全員、 
IT企業に就職してプログラミングに勤しめるわけでも、周囲に個性を認めてもらえるわけでもないのが現実なのだ。 

 個人的な話だが、発達障害を抱えていた小学校の同級生は、家庭でもあまり顧みられることがなかったのかいつも同じ体操着姿だった。 
食べ残したパンを机の引き出しに隠し、盛大にカビさせては騒動を引き起こしていた。言語でコミュニケーションがあまり取れなかったことからクラス中に疎まれ、邪魔者扱いされていた。私自身も、 
彼を厄介者としか認識できていなかった。あれから30年以上経ち、現在はどうしているかわからない。 

 この同級生のように孤立し、IQはギリギリ及第だったゆえに支援の手を差し伸べられなかった発達障害児が、全国にどれだけいたことか。 
そういう意味では成功の秘訣は「運」「鈍」(基本的にものごとを覚えていないこと)「根」(ハマること)と語る成毛さんは、とても運が良かったと言えるだろう。 
なぜなら小学校では行動を問題視されたものの、親からは問題視されることはなかった。周囲から浮くこともなく、いじめにも遭わなかった。いい意味で「ヘンな」高校に合格し、 
生徒会長にもなった。アルバイトと読書に精を出し、 
ほとんど行かなかった大学も留年を覚悟していたのに、学校側の事情で卒業できることになった。当時の彼女で今の妻に就職先を紹介してもらえ、 
そこで「治外法権」的な立場を得たことで、自分のやり方で仕事をこなせた。その後編集者になりたくてアスキーに転職するものの、 
子会社のアスキーマイクロソフトに出向。アスキーから分かれた日本マイクロソフトに移籍し、5年後にトップに……という人生を送れたからだ。 
本人の頑張りもあったとは思う。しかし個性を潰す存在と関わらずに成長できるかは、育つ場所や時代の価値観、人間関係が大きく影響する。それは努力だけで、得られるものではない。 

 同書は確かに、読み手に希望を与える。しかし同時に、少しだけ暗い気持ちにもさせられる。そこで成毛さんのように社会と繋がり、 
成功している「発達障害かも」と思っている大人に、ぜひ言いたい。発達障害を抱える子どもたちが矯正しないでも幸せに生きられるように、 
育つ環境によって格差ができてしまう状況を改善することに、持っているリソースを分けてほしいと。 

 

大手進学塾 塾講師のためになる話

私が某大手進学塾の先生とお話しさせていただいた時の記事です。

 

 

 

 

大手進学塾で講師として勤務しております

 

高校大学受験の指導をメインに行っているのですが彼らの指導をしていて気づいたことがあります

 

それは将来の目標が定まっている生徒さんは成績が向上しやすいということです

 

例えばこんな男子高3生がいました

彼は中学高校の数学教諭を目指すという明確な目標を持っていました

一般的な生徒ですと高校3年生の夏を過ぎても勉強に身が入らず秋を過ぎてやっとその気になってくるというパターンがほとんどなのですが彼は違いました大学受験に向けて動き始めるのが他の生徒と比べても格段に早く高校2年生の冬には志望校を決定し志望校を決定してすぐに高1・2年の復習をメインに勉強を行っていましたその調子で勉強を続けた結果高校3年生の夏の模試でA判定合格可能性8割以上とることができ最終的には一志望校に合格しました

合格した彼にどうしてここまで頑張ってこれたの聞くと理想の数学の先生になるためにはどうしても勉強しなきゃいけなかったからです至極当然なことのように返答されました彼は平均的な生徒よりは若干学力水準が低かったため勉強が面白くてしかたないというタイプではなかったのですが夢や目標のためならしかたないと自分に言い聞かせることで努力し続けることができたのだと思います

 

 

 

もちろん彼のような生徒さんばかりではなく残念ながら一志望校に落ちてしまった生徒さんたくさん見てきましたなんで勉強しなきゃいけないのというのが彼らの口癖でした

勉強したって日常生活には関係ないことばかりだ何度も言われました確かにその通りだと思いますではなぜ勉強するのかと言われれば自分の夢や目標を実現するためにはとりあえず勉強しなければならないからという1点に尽きると思います

なんで勉強しなきゃいけないのという疑問が口から出てくる生徒さんは往々にして夢や目標がないかあっても曖昧な場合がほとんどでした

 

 

 

そんな彼らに対してそんなこと言ってないで勉強しなさい声をかけるよりも先生と一緒に将来の目標を考えてみない声をかける方がその後の成績の上がり方が良かったと実感しています

 

 

 

子どもたちの成績をあげるためには勉強法を考え直すのも1つですが彼らの夢や目標を明確にしてあげることも効果的だと思っています

 

この話を聞いて私も同じ意見をもちました。子供は目標に向かって頑張る力は大人よりも強く集中力も大人よりはるかに高いように感じました。(子供がボールに気を取られて飛び出すのも集中力が高いからだと私は思っています。)

 

ですから「あれをやれ!!」「これをやれ!!」というよりも目標を持たせてやってほしいと心から願っています。

 

 

 

 

それでは おつかれっす!!

最近の20代に流行ってるうつ病がやばい・・・

最近の20代に流行っている新型うつ病のお話です。

 

 

 

従来のうつ病とは うつ病(うつびょう、鬱病、欝病、英語: Clinical Depression)は、気分障害の一種であり、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥(しょうそう)、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害である  [wiki]

 

うつ病 に対する画像結果うつ病 に対する画像結果

 

上記の画像ようなうつ病が皆さんがご存知のうつ病です。

うつ病は「気持ちで負けているだけ」 「気合が足りん」など言われてきましたがしっかりとした病気だと私は思います。

 

しかし新型うつ病と呼ばれるものは詐病(仮病)ではないのか・・・と考えています。

 

旧型と新型の違いは ①感情に起伏がある ②仕事が休みの時の体調が違う などがあります。

 

①の説明としては旧型は 感情の起伏があまりない 新型は楽しむときは楽しみ、仕事の時にはやる気が出ない

 

②の説明としては 旧型は仕事あるなしにかかわらず気分が沈んでいるが 新型は仕事の時だけ沈んでいます

 

この時点で「んっ・・・?」となりませんか??

これが新型うつなのです 仕事辞めろよ

 

皆さんもうつ病にかからないよ気を付けて働いたり学校生活を送りましょう

 

それでは おつかれっす!!

ここ20年間の女子高校生と男子高生の比較画像が話題に

 女子高生の違い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男子高生の違い

 

 

 

 

 

 

 

最近のブームとしては女子はおとなしい目 男子は中性的のように感じます。

 

どうでしたか? みなさんの時代に帰れましたでしょうか??

 

ではチャオノシ

ある教員のお話シリーズ1

まともな家庭に生まれなかった自分が、「学校の先生や友達のお蔭でまっとうに生きてこられた」、という恩返しの気持ちで、教師を志望し35年が経過しました。教職中は、家庭の確立していない、ともすると「いじめの対象」や「不登校」になりがちな子どもを昔の自分とダブらせて接していました。

 

 

 


数年前、給食制度の充実を図るため、食育の一環として「弁当手づくり、持参」の企画が提案されましたが、小中校各2年間、大学3年間の新聞配達をした上に、弁当も自分で造っていた私は猛反対をしました。さらに出来栄えのいい弁当は写真を撮って掲示するとも。今当時の私のような生徒がいたら、聞く耳を持たない親から、お金だけもらって、コンビニの弁当棚の前で立ちすくみ、おかずだけを手づくり風に弁当箱に詰め、学校では隠しながらの姿があって、自分の家のダメさをさらに思い知らされると同時に、友達の家をさらに羨む心だけが育まれると思ったからです。

 

 


同様に自分のみじめさを、もっと感じている対象として、障害を持っている子ども達のことが気がかりでならず、終盤は「特別支援学級」の担任を申し出て、7年間自分の専門教科の体育以上に、より意欲的に取り組みました。

 

 


学校が絶対多数の絶対幸福的な考えで経営される限り、落ちこぼしの子どもがでます。「教育基本法、第3条には(教育の機会均等)すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」これ嘘です。

 

 

 

 


学級のテーマを、「人が最も大切にされるクラス」にして、担任である自分が、「困り感」のある生徒に焦点を当て支援・指導してきました。教職のはじめは丁度、「第2教育荒廃期」のころで全国的に学校が荒れていました。ほとんど毎日「問題の発生」や「家出擬き探し」そして「暖簾に腕押し」状態でした。

 

 

しかし、この子ども達もほとんどが、家庭が形作られていないことによる犠牲者だと思いました。迷惑をかけた罪滅ぼしの作業として、朝早くに登校して、保護者・生徒、自分達で除草作業をしたことが印象深いです。

 

 

仕事等の忙しさで子どもを構えず、家出探しを教師に任せざるを得ない、保護者が自らの責任を重々感じて私達と共感されたもので、決して今のクレーマー、教師バッシングはありませんでした。

 

というお話でした。

 

いかがでしたか?

ストレスを感じやすい世代と対応策

昔の子どもに比べて今の子ども達はストレスという言葉を日常的に使うようになった

 

 

子育てに関してもなるべく子どもにストレスを感じさせないようほめて伸ばすのが良い育て方という風潮がある

 

 

 

ほめて伸ばせればもちろんそれでよいのだが逆にしつけ教育の中で叱るだめなという空気感が強くなりすぎているような気がする

 

 

 

叱られると確かに人間はストレスを感じるかもしれないだがストレスとは人生で避け続けられるものだろうか子ども時代にストレスをあまり受けないことによりストレスに弱い人間が増えている気がする

 

 

 

また少し叱られるとストレスを感じる被害者のように訴え本当に叱られた意味をくみ取れない子どももよく見かけるようになった

 

 

ほめて伸ばすのと同様叱ることも人間を育てることにおいて大切なメソッドの一つではないかと思う過度なストレスはもちろんよくないが叱られたことで感じるストレスをどう乗り越えていくかという試練は人間を成長させるだろうし乗り越えた時にこれから先の人生でのちょっとした自信につながるのではなかろうか

 

 

 

 

もちろん子どもに対して感情的に怒るのはなるべく避けるべきだが常にほめなくてはという呪縛から子育てに関する人々はもう少し開放されてもよいのではないかと思う

 

 

 

子どもがストレスに直面することを恐れずストレスに強い生きていく力の強い人間として成長させていくにはどうしたらよいかという方向で育児のあり方が議論されるとよいのでは思っている

グローバル化の教育と・・・リーダーシップの話

バイリンガル幼児園として設立され基本的にはネイティブやバイリンガルクラスを担当しスポーツや音楽といったものは専門の先生幼児園の先生で展開されるというものでした

 

 

 

 

 

 

現在は一人っ子が多い中で年齢の違う子どもたち同士で遊ぶというのが少なくなっていますが縦割りの運動指導が行われている幼児園がありました

 

 

 

 

 

 

Ninja9という名称の忍者の服を着て各チームごとで競技を競い合うというのが特徴ですこの中のチーム編成としては年少年少年中年長というように縦割りのグループとなり年長の人が下の子たちにいろいろな事を教えながら競技をクリアしていくというものです

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツをすると言う事でなくリーダーシップが求められる考える力が身につくと言う事で現在は様々な幼稚園などで展開をしています

 

 

 

 

 

 

 

 

当然年少子どもたちは年上のお兄さんお姉さんの言う事を聞きながらルールを理解し競争障害物競走やボールゲームなど勝つ為の方法を学んでいきますそして年少子が年少年中年長とあがっていくにつれてリーダーシップを発揮していくのです

 

 

 

 

 

 

 

その子どもたちの人間関係は社会に出たときに使えるものです当然子ども同士で喧嘩をする場面もありますので先生が手を差し伸べる場面もありますが子どもたちに解決させる能力も身につけることが出来ます

 

 

 

 

 

 

こうした取り組みは社会に出て行く上で重要なカリキュラムではないかと感じました